Primal Heart
あれから、どれだけの物が消えたのだろうか？
陽が西に傾き始めた頃。
僕は、高層ビルの前に立っていた。
最上階に展望台がある高層ビル。
僕は正面からその中に入ってゆく。そして、エレベーターのドアの脇の「上」ボタンを押して、待った。
しかし、このエレベーターはやけに動きが遅かった。ボタンを押して一分以上待っているのに、いまだにドアが開かないのだ。
（ダメなエレベーター……）
などと考えた、その直後に、僕は、
「しまった！」
と叫んだ。
……遅かった。
軽い目まい。そして僕は、何もない壁の目の前に立っていた。
（やられた……）
やむを得ず僕は、階段で上に上がることにした。
この高層ビルを足でのぼるのは、かなり骨が折れる作業だ。最上階まで半分もいかないうちに、僕は息が切れてヘトヘトになり、階段の踊り場に座り込む。
こんな状況になると、階段が忌ま忌ましく思えてきそうになるが、その気持ちを必死でこらえる。
階段が消えたら、もうおしまいだ……。
僕は、ある程度休憩した後に、再び階段をのぼりはじめた。
「展望台に早く行かないと……。あの夜景を見て、もっとこの世界を……」
僕が少しでも嫌悪感を持ったものは、この世から消滅してしまう。
そして、これを繰り返すうちに、最後にはこの世界そのものが消滅してしまうのだ……。
だから、その前に、この世界を少しでも好きになろう。そうすれば、この世界の消滅は、少しは先に延ばせる。その間に、何か解決策が見つかるかもしれない……。そんな思いで、僕はこのビルの最上階を目指していた。
このビルの屋上から見える、とても美しい夜景……。かつて僕は、生きてゆくのが嫌になってくると、いつもこの展望台で夜景を眺めていた。
そうすれば、少しだけこの世界を好きになることができたのだ。
こんなに美しい物があるのなら、この世だって捨てたものじゃない、と……。
思えば僕はよく、この世界なんか消滅してしまえと考えていたものだ。
こんな、生きていても辛いだけの世界なんて、無くなってしまえと……。
でも、今は違う。
この世は、消えてはいけないんだ……！
最上階にはまだ到着しない。
僕は、ガクガクとけいれんしている足を引きずるようにして、一段一段、ゆっくりと階段をのぼってゆく。
誰もいない空間に、ハアハアという、僕自身の息の音だけが響きわたる。
早く……、早くしないと……。僕の能力が発動してからでは遅いんだ……。
僕は最後の一段をのぼり終えた。
見慣れた展望台。周囲がガラス張りになっているだけの、広いホール。
ついに、最上階に到着したのだ。
「やった……」
すでに、窓の外は真っ暗になっていた。
僕は、窓のそばに駆け寄った。
早く、美しい夜景を見ようじゃないか。そして、もっとこの世界を好きになろう。そうすれば、この世界の終末も、もしかしたら防げるかもしれない……。
しかし、そこに夜景はなかった。
ただ、漆黒の闇があるだけだった。
……当然だった。
どうして気付かなかったのだろう。
あの夜景を作り出している数々の構成要素は、すでに僕の手によって、ことごとく消え去ってしまっていたのだ。
ビルも道路も、車も照明も人間も……。
僕の大好きな、あの美しく輝く夜景。だが、それはもう、二度と輝くことはなかった。
僕は、展望台の床に座り込んだ。そして、上を向いて号泣した。
やがて、軽い目まいの直後に、僕はいつのまにか、冷たい土の上に座っていた。
それでも僕は、泣くのをやめなかった。
嫌悪、
大小関係なしに、
全てに対して。
消滅、
すべてが、
わけへだてなく。
やがて、
完全な、
虚無。
ここは何もない、真っ暗な世界。
一筋の光もない永遠の暗闇。
その中を、僕は延々とさまよい歩き続ける。
一体、どのくらい歩いているのだろう？
いつから歩いているのだろう？
いつまで歩き続けるのだろう？
そして、なぜ歩いているのだろう？
……光を求めて？
馬鹿馬鹿しい。光なんて、いくら歩いても見つからないじゃないか……。
何も変わってはいない。以前から。
この世界がこんな風になる以前から、僕はずっとこうだった。
永遠に続く暗闇の中に放り込まれて、暗闇の中で怯えて、恐れて、泣き叫んで。
光なんてあるわけがないという事を知っているのに、それでも輝きを求めてさまよい歩いて。
そして、結局は、輝きなんて見つからなくて……。
いや、待てよ……。
違う。
光はあった。
僕は、輝きを見つけたんだ。
永遠の暗闇の中で……。
その時、
「……あれは？」
僕は暗闇の遥か遠くに、かすかな光を見つけた。それは、とても弱々しい光ではあったけれど……。
「……」
僕は、その方向に向かって走っていった。
そこにあったのは、暗黒の中にポツンと建っている、一軒の家。それは、どこかで見たことのある、大きな家だった。
その家の玄関のドアは開きっぱなしになっていて、かの光の発生源は、ドアの向こう側のようだった。
僕は更に足を進めて、玄関の前までやってくる。
周りを見て、僕は確信した。
ここには、前に一度来たことがある、と。
そして、僕はここで、誰かと言葉を交わしたのだ。
一体、どんな会話をしたんだっけ……？
「それじゃ、僕はこれで……」
「うん、バイバイ。……ナオヤ君……」
「なに？」
「きっと……、また会えるよね……？」
「なるほど、そうか……」
僕は理解した。この家が誰の家で、そして、あの光の発生源が「誰」なのかを。
開いたドアから、ゆっくりと中に入る。
廊下の向こうに見える小さな光によって、その家の中はかすかに照らされていた。
僕は、大声で、
「こんにちは、近野という者です！ お邪魔してよろしいでしょうか！？」
家の中に声が響き渡り、その後しばしの静寂。そして……、
「……ナオヤ……君？」
暗い廊下の向こうから聞こえてきた、よく知っている声。
足音とともに、廊下の向こう側の光が、こっちに近づいてくる。
そして、その「光」は、僕の目の前で立ち止まった。
それは、僕のよく知っている少女。
短い髪と白い肌を持つ、優しい少女。
僕の、ただ一つの輝き……。
「泉……ちゃん……」
僕は、彼女の名を呼んだ。
「ナオヤ君……」
泉も、僕の名を呼んでくれた。
でも、泉の顔から暗さは消えなかった。
「恐いよ……。ひとりぼっちで恐いよ……。みんな、どこに行っちゃったの？」
泉は、声を震わせながら、目から涙をこぼした。
「わたしの周りには、輝きがたくさんあったはずなのに……、みんな消えちゃった……」
「ごめん……、本当にごめん……」
泉は僕のことを見つめて、そして、僕をそっと抱きしめた。
「ナオヤ君は、消えたりしないよね？」
「もちろんだよ……。消えるものか……」
「よかった……」
そう言って彼女は僕に、力なく微笑みを見せてくれた。
玄関のドアは閉じられた。
もう、開けておく必要はないから。
一軒の家。
一軒の広い家の中に、僕は閉じこもっている。
大切な人と一緒に、閉じこもっている。
家の外は、真っ暗な虚無の世界。
家の中にも、何もない。
家があって、その中に二人がいるだけ。
僕たちは、ガランとした部屋のフローリング床の上に、向かい合って座っている。
泉「退屈だね……」
僕「そうだね……、何かしようか？」
泉「何をしよう？」
二人「うーん……」
泉「……あ、そうだ」
僕「ん？」
泉「『あっち向いてホイ』やろっ」
僕「……そうだね」
泉「……せーの」
二人「じゃんけんポン！」
僕「あっち向いてホイ」
二人「じゃんけんポン！ あいこでしょ！」
泉「あっち向いてホイ」
僕「……あ」
泉「やったー、一勝！」
じゃんけんポン
あっち向いてホイ
じゃんけんポン
あいこでしょ
あいこでしょ
あっち向いてホイ
じゃんけんポン
………………
………………
僕「えーと、今ので……」
泉「今ので、わたしが２３５勝で、ナオヤ君が２２４勝だよ」
僕「僕、２２６勝じゃなかったっけ？」
泉「え？ そう？ じゃ、それでいいよ」
僕「よし、それじゃ、４６２戦目……」
泉「……」
僕「ん？ どうしたの？」
泉「飽きたね……」
僕「……そうだね。それじゃ、あっち向いてホイはやめようか？」
泉「うん。そうしよ」
僕「じゃあ、今度は何をしようか？」
二人「うーん……」
僕「いっせーの、３！」
泉「いっせーの、１！」
僕「いっせーの、２！」
泉「いっせーの、０！」
僕「あっ……」
泉「やったー、やっとわたしの勝ち！」
僕「これで、僕が３１２勝で、泉ちゃんが２８６勝……」
泉「よーし、この調子で追いつくよっ！」
僕「それじゃ、次」
泉「いっせーの、４！」
僕「いっせーの、２！」
泉「いっせーの……」
「３！」「１！」「２！」
「０！ ……よーし、１ポイント先取！」
「１！」「３！」「２！」
「３！ ……やったぁ！」
………………
………………
泉「やっぱり、二人じゃ寂しいよ……」
僕「うん……、そうだね。でも……」
泉「……」
僕「二人しかいないんだから……」
泉「……せめて、もう一人ほしいよね」
僕「もう一人？」
泉「そう。この家の中で……、三人水入らずで暮らすのよ。そうすれば、すごく楽しいと思わない？」
僕「そうだけどさ……。でも、それは無理な話だよ。だって……」
泉「無理じゃないよ」
僕「え？」
泉「……ふふっ」
前に、誰かが言っていた。
「もし、この世に神様がいたとして、彼は一体何のために万物を創造したんだろうな？」
神様は、寂しかったんじゃないだろうか？
虚無の世界の中で孤独でいるのが……。
泉「ねーねー、これ見て」
僕「何を……、おわっ！！」
泉「赤ちゃんだよっ」
僕「そ、それは……」
泉「なーんてね」
僕「あー、ビックリした。シャツの中に物を入れたりして……」
泉「可愛いでしょ、これ……」
ギュッ
三毛猫「ふにゃー」
僕「あれ？」
泉「ふふっ……」
三毛猫「ニャニャン」
泉「これで、少しは楽しくなるね」
僕「いや、それ……、どこにあったんだ？」
泉「なんかね……」
僕「……」
泉「二人だけじゃ寂しいって思ってたら……、いつのまにか、わたしの部屋の中にあったんだよ」
僕「へえ……」
泉「でも、わたしは知ってるよ」
僕「ん？」
泉「これは、ナオヤ君がわたしにくれたものなんだって」
三毛猫「ふみゃー」
少しずつ……、
僕「あれ、それは？」
泉「白猫ちゃんだよ。……ほら、こうやって、三毛猫ちゃんのそばに置くと……、なんだか、三毛猫ちゃんに友達ができたみたいだね」
僕「……で、それはどこにあったんだ？」
泉「三毛猫ちゃんが一匹で寂しそうだなー、って思ってたら」
僕「部屋にあったのか」
泉「うん……。でもね……」
僕「でも？」
泉「この子見てると、なんだか、悲しい気分になってくるのよ……」
僕「なぜ？」
泉「確かに覚えてる。この子は、わたしの友達が一生懸命作って、プレゼントしてくたものなんだって……。でも、その友達の顔が、思い出せないの……」
僕「……」
泉「ほら、こうやって、この子の顔を見つめているだけで、友達の暖かさが伝わってくるわ……」
僕「僕は……」
泉「？」
僕「僕は、そいつがいけ好かない」
泉「え……」
僕「いけ好かないけど……」
泉「……」
僕「こいつと三毛猫、並べてみると、結構お似合いな組み合わせだよな」
泉「……うん、そうだね」
僕「ははっ」
泉「ふふっ……」
少しずつだけど、戻ってゆく。
泉「ねーねー、見てみて」
僕「ん？ ……そ、それは！ ビフィズス菌灯籠！！」
泉「（ぷちっ）」
ヌッ！
ビフィズス菌「めしー！」
僕「どわっ！」
泉「えへへ……（ぷちっ）」
ヌッ！ ヌッ！ ヌッ！ ヌッ……！
ビフィズス菌一同「めしー！ めしー！ めしー！ めしー！ めしー！ めしー！（ザワザワ）」
泉「かわいいでしょ？」
僕「……かわいいか」
ビフィズス菌一同「めしー！ めしー！ めしー！ め……（スルスル）」
僕「戻った……」
泉「ね？」
僕「……うーん、言われてみれば……」
泉「言われてみれば？」
僕「なかなか、味があっていいかもね。慣れれば……」
泉「でしょ？ でしょ？」
世界が、元に戻ってゆく。
僕「随分と、家の中がにぎやかになったな」
泉「いろんな物が戻ってきたからね。椅子に、ベッドに、テーブルに、壁紙に、花瓶に、クッションに、それから、えーと……」
僕「ぬいぐるみも、たくさん戻ってきたね。これで、あの二匹の猫も仲間ができて、寂しくないだろうな」
世界に輝きが戻ってくる。
泉「ねえ！ 外が明るいよ！」
泉は、失った輝きをどんどん取り戻していった。
泉「街が……、元に戻ってる。ねえ、一緒に遊びに行こうよ」
そして、そのたびに、泉自身の輝きも増していったのだ。
世界は、輝きに満ちあふれている。
僕は今まで、その輝きを見つけることができなかった。……いや、見つけようとしなかったんだ。いろいろな物の暗い側面ばかりを見て、輝きを見出そうとせずに、嫌ってばかりいた……。
でも、泉は、いくつでも輝きを見つけることができたんだ……。
その時、
「あっ！」
二人は、同時に叫んだ。
街が消えてゆく。空が暗くなってゆく……。
輝きが再び失われてゆく！
世界の再生……、あれは一瞬の幻でしかなかったのか……？
「消えないで！！」
泉は、両手で顔をおさえて、地面にひざまずいた。
世界が虚無に包まれてゆく中、すすり泣く泉。
そして、僕は……、
「終わらせるものか……！」
僕は、奇跡を望んだ。
あの世界が戻ってくるという奇跡を。
「世界よ、戻ってくれ」
泉にとって輝きに満ちていた……、
「僕が悪かったよ……」
僕にとっては暗闇でしかなかった……、
「僕は輝きを求めていたのに、輝きに目を向けようとはしなかった」
そして、これからは僕にとっても輝きに満ちていてほしい……、
「だから、もう一度チャンスをおくれ。僕に、輝きを見つけるチャンスを……」
あの世界が、再びここに戻ってきてくれるという奇跡を……。
「世界よ！ 戻れ！！！」
僕の声が、黒い虚無の中に響き渡る。
それは、心の底からの叫びだった。
そして……、
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