PERFECT FREE
７（夢）
ついに鈴凛は、地球の中心に辿り着いた。
彼女の目の前には、キューブ状の巨大な建造物があった。
外壁は金属でできていた。この温度に耐えられるほどであるから、今までに見たことのないような金属なのだろう。
「お母さんが……ここにいる」
彼女はゆっくりと門を開け、中に入った。
広い通路が奥へと続き、左右には不可思議な機械が延々と立ち並んでいる。機械が動いている様子はなかった。
やがて、鈴凛は建物の中心、すなわち、地球の中心の中心に着いた。
そこには、彼女の知る限りにおける全ての色を持った球体があった。
「お母さん！」
鈴凛はその球体に向かって声を上げた。
球体が一瞬きらめく。そして、
「お帰りなさい、私の子供……」
幾度も聞いた声が部屋中に響き渡る。
「あなたが初めてです、これほどまでに成長して戻ってきてくれたのは……」
「母親」は、淋しげに語り続けた。
「この部屋があなたの『きょうだい』で一杯になるまで、あと何万回、陽の周りを回らなくてはならないのでしょう……」
「お母さん、悲しまないで。私はお母さんに会えて本当に嬉しいんだから」
鈴凛は、優しい声で母親に言った。
「ええ……、ごめんなさい。せっかく戻ってきてくれたのに」
「ところで、『きょうだい』って？ 私と同じような存在がこれからもここに来るの？」
「そうです。私の子供たちに命を吹き込む。そのために、この星は存在するのです」
母の言っている意味がよくわからなかったので、鈴凛は「どういうこと？」と尋ねた。
「あら……、どうやら、記憶を失っているみたいですね」
「記憶？」
「ええ、この地球が誕生してからの記憶です」
母は「それならば」と、室内の機械を起動させた。
聞いたこともないような作動音が響き渡る中、母は言った。
「あなたの記憶を蘇らせましょう」
次の瞬間、機械が一斉に光り出した。
電波とも光波ともつかない波動が、一斉に鈴凛に向かって放たれた。
それは、この地球の誕生から人類の出現、そして近世に至るまでの全ての記憶であった。
一斉に流入する膨大な量の情報に、鈴凛の頭脳はオーバーフローしそうになる。そして、
８（現）
「うわあああ！」
鈴凛は一気に上半身を起こした。
顔からドバドバと汗が噴き出し、心臓がバクバクと高鳴った。
「な、何なのよ、一体……？」
鈴凛は辺りを見回した。
自分の部屋だ。
外は暗い。時計を見たらまだ夜中の四時。四時間しか寝ていない。
しかし、眠気は一気に覚めてしまった。
布団をはね除けて立ち上がり、窓を開け、気を落ちつかせようと夜空を見上げた。
数分経って、やっと動悸が収まった。
「は……、はは……」
動悸が収まると、彼女はそのまま床にへたり込んだ。
そして、手を顔にあて、声もなく泣きだした。
悲しくて泣いているのではない。彼女は、一種のパニック状態に陥っていたのだ。
彼女が夢の中で知った事、それは、十四歳の少女とってはあまりに過酷なものであった。
彼女が知ったのは、地球の生い立ちであった。
何のために地球が作られ、どのような経緯で生命が生まれ、そして歴史が築かれていったのか。彼女はそれらを知ってしまったのだ。
「そんな……、そんなのってないよ……」
彼女はずっとそのまま、ガタガタと震えていた。
涙が手から腕へと伝わった。
その日は晴れた日曜だった。
昼、鈴凛たち十二姉妹は、下から二番目の妹の亞里亞の家に集まって、バーベキューパーティを行った。
火の周りで談笑する姉妹たち。しかし、鈴凛は椅子に座ったまま、一言も喋らずに、無表情のまま食を進めるだけであった。
（野菜は、動物の栄養になるために生まれた……）
そう思いながら、鈴凛はタマネギを食べた。
（家畜は、人間の栄養になるために生まれた……）
鈴凛は肉を食べた。
（人間は……、何の栄養になるために生まれた？）
鈴凛は、姉妹一人一人の顔を見た。
「お兄ちゃんも来ればよかったのに……、残念だね」可憐。
「お兄様にも都合があるもの、仕方がないわ。本当に残念だけど……」咲耶。
「でも、兄上様に、ミカエルの子供達をみせてあげたかったです」鞠絵。
「あー！ それは四葉がチェキしてたお肉デス！」四葉。
「まあまあ、材料はまだたーんとありますのよ」白雪。
「ふえーん、お口の中ヤケドしちゃったぁ」花穂。
「大丈夫かい？ この薬を口に含めばすぐ治る……」千影。
「くすん、亞里亞ピーマン食べられないの……。くすんくすん」亞里亞。
「ヒナが食べてあげる。ピーマン食べられるもん。えらい？」雛子。
「バーベキューが終わったら、わたくしの餡蜜もお召し上がりくださいませ」春歌。
そして、
「ねー、鈴凛ちゃん」
衛が鈴凛のそばに近づき、語りかけた。
「なんか、元気ないけど。大丈夫？」
「衛ちゃん……」鈴凛は顔をあげ、衛を見つめた。「衛ちゃんは……、何のために生きてるの？」
「えっ？」
鈴凛からの突然の質問に当惑する衛。
「わかんないよぉ。ボク、そんな人生悟るほど長生きしてないし……」
「うん……、そりゃそうだよね」
そう言って、鈴凛は苦笑した。
「へ、変なの……」
「あ、そうだ、みんな」
鈴凛が全員に聞こえるように言うと、姉妹達は手を止めて彼女の方を向いた。
「面白いもの見せてあげる」
鈴凛は、家から持参してきたクーラーボックスを全員の前で開けた。
「わっ、何これ？」
最初に衛が中を見て、驚きを見せた。
中には、すでに地球上にはいない筈の節足動物が入っていたのだ。
「三葉虫だよ。大昔に絶滅したんだけど、あたしが生き返らせた。生命を生み出す方法を知ったあたしには、簡単なことだけどね」
鈴凛が口上を述べると、今度は千影が中をのぞき込む。
「ほう……、鈴凛ちゃんが錬金術を会得するとは、意外だな」
「はは、鈴凛ちゃんの冗談だよ」衛が笑う。「でも、よくできてるね」
鈴凛は否定も肯定もせずにその場を離れ、クーラーボックスに群がる姉妹たちを遠巻きに眺め続けた。
（今に、あたしは人間も作れるようになるのかな……？）
「ねー、鈴凛ちゃん」
（あ、人間ならもう作ったか。人間じゃないけどね……）
「三葉虫、動かなくなっちゃったよ」
９（夢）
鈴凛は自らの体を機械に接続し、データを読み込んでいる。
機械を経由して、現在の地上の情報を調べているのだ。
鈴凛は、地球の生誕から近世にいたるまでのデータを記憶したものの、ここ百年ほどの事に関しては空白であった。
「あら。その機械が後でまとめてくれるから、今データを取得しなくてもいいのに」
母親はそう言ったが、鈴凛は、
「でも、我慢できないもの。私、地上のこといっぱい知りたい」
「ふふっ、本当にあなたは勉強家ですね」
「うん。だって、私は色んなことを勉強するように『プログラミング』されてるもの」
「プログラミング？ 誰に？」
「……お母さん、この部屋は私の『きょうだい』で一杯になるって言ったよね？ でも……」
「でも？」
「私には、もう既に『きょうだい』がいるような気がするの」
１０（現）
バーベキューの日から数週間が過ぎた。
鈴凛は夢を見るたびに、新しいことを覚えてゆく。
その量は凄まじく、それも普通の人間なら知る筈もない事ばかりであった。
「睡眠学習」などという冗談を言っている場合ではない。
真実を知ることは苦痛を伴う。
知る真実の数が多ければ、それに比例して苦痛の度合いも増す。
鈴凛は眠ることに恐怖を覚え始めた。眠らないで夜を徹することもあったが、一睡もせずに生きることなどできる訳もなく、ただ苦痛を先送りするだけの話であった。
とある日の昼、鈴凛は友人と二人で、屋上で昼食をとった。
「鈴凛、最近やつれたね」
友人が心配げに言う。
鈴凛は「そう？」とだけ答えたが、友人の指摘は的中していた。
先刻、トイレで鏡を見たら、目の下に隈が浮かんでいた。肌にツヤが無いのも自分でわかっていた。
「前に比べるといい食事とってるみたいだけどね」
友人は、鈴凛の膝の上の弁当箱を指差した。
「ああ……、添加物入りの菓子パンがどれだけ体に悪いか、知っちゃったから」
そんな鈴凛の返答にも覇気はない。
「ジャンクフード大好きな鈴凛が『添加物』ねえ……。あ、そういや、この前のテストで五百点満点取ったの、鈴凛だっけ？」
鈴凛は無言で頷いた。
「なるほど、ガリ勉でそうなったのか。でもさあ、これまたどういう風の吹き回し？ 理科と数学にしか興味がなかったのに」
今の鈴凛にとっては、中学校の学習内容など子供騙しのレベルだ。ただそれだけの話なのだが、鈴凛は黙っていた。
「ま、ともかく、無理は良くないよ、無理は。ね？」
「うん……」
「あ、そうだ。この前言った雑誌だけど、なんか、どっかに行っちゃったみたい。見つけたら持ってくるから、ね？」
「うん……」
１１（夢）
『きょうだい』『きょうだい』……。
私には、知らなくちゃいけないことがある。
『きょうだい』がどこにいるのか。
『きょうだい』が何を思っているのか。
知らなくちゃいけない気がする……。
１２（現）
メカ鈴凛が失踪してからおよそ一ヶ月後の日曜日。
鈴凛は、焼け付くような日差しと喧噪が支配する市街地を歩いていた。
目的の場所はない。ただ、家に閉じこもっている理由が無いから歩いているだけだ。
彼女は、以前もよくこの街を歩いていた。
見知った場所も知らない場所もあった。
そして、「知らない場所」を「知っている場所」に変える事が、とても楽かった。
初めて入った雑貨屋。ジャンク屋で見つけた珍しいパーツ。
美味しかったアイスクリーム屋。不味かったラーメン屋。
全てが新鮮だった。また、それらを体験し尽くす事は不可能だと思っていた。
だが、今はもう違う。
彼女は、この街の全てを知ってしまった。
「今、全ての型の血液が不足しています！ どうか、献血にご協力くださーい！」
公園の近くに行くと、若い女性の声が聞こえた。
見ると、公園の入り口前に献血車が止まっていた。
「……人命救助でもしましょうか……ねえ」
鈴凛は、献血の受付の方に向かった。
もっとも、彼女は、人工血液を簡単に作る方法を知っていた。
それを献血車の中の医師に教えてやろうとおもったが、女子中学生の戯言など聞き入れられる筈もないので、やめた。
採血が終わり、鈴凛はカロリーメイト・チーズ味の四本入りを貰った。
公園のベンチに座り、二本だけ食べる。残りは砕いてバラまいた。
すると、沢山の鳩が集まって、かけらを突っつき始めた。
「一生懸命食べてる……」
近くにいた小さな男の子が「あ、鳩さんだー」と声を上げた。その声を聞いて、周囲にいた人々が、白い鳩たちの群れに目を向けた。
「かわいー」「私たちも餌あげましょ」「ほらほら、こっちおいでー」
鳩を前に心を和ませる彼ら。そんな彼らを見て、鈴凛は思った。
（鳩なんて、場所が場所なら害鳥扱いなのに）
彼女は、献血車の方に目を向けた。
（人間だって一緒。大量の輸血でもって一人の命を救う場所もあれば、戦争で一日に何十人も死ぬ場所もある）
「爆弾で死んだ赤ん坊は何のために生まれてきたのかって？ 決まってるじゃない、爆弾で死ぬために生まれてきたんだよ……」
鈴凛は、ゆっくりと腰を上げた。この公園にいる理由がなくなったので、去るつもりだった。
その時、
「鈴凛ちゃーん」
聞き覚えのある声がした。
その方を向くと、手を振りながら駆け寄ってくる衛の姿があった。
「衛……ちゃんか」
だが、鈴凛は何事もなかったかのようにそっぽを向き、歩いていった。
「あっ！」衛が追いかけてきた。「待ってよ、鈴凛ちゃん！」
鈴凛は衛に肩を掴まれ、立ち止まった。
「どうしたの？ ボクのこと避けてるの？」
「ううん、全然……」
鈴凛は衛の顔を見ようとはしない。衛は鈴凛の前に回り込んで、自分から彼女の顔を見た。
「鈴凛ちゃん……、ほんと、最近変だよ！」
「そう……？」
「悩みがあるんだったら相談に乗るよ？ ボクたち姉妹じゃないか！」
「姉妹？」鈴凛は苦笑した。
そして、心配げな顔の衛に向かって、言い放った。
「所詮は、同じ精子から生まれた人間ってだけじゃない。それだけなのに」
衛の表情が変わった。
「趣味の悪い冗談だね……」衛の声が少し荒くなる。「いくらボクだって、そんな事言われたら怒るよ！」
「なんで？ なんで怒るの？」
「だって……！」
そう言いかけて、衛は言葉を止めた。
鈴凛の表情は変わらなかった。しかし、彼女の頬を雫が伝っていた。
「『家族』ってどんなものなのか、あたし、知っちゃった」
「鈴凛ちゃん……」
「あたし……、もう、衛ちゃんを特別な人だと思えなくなっちゃった」
「鈴凛ちゃん！」
「お父さんも、お母さんも、可憐ちゃんも咲耶ちゃんも……、アニキのことも、みんな特別な人だと思えなくなっちゃったよ！」
衛は、もう何も言えなかった。
「あたし……、旅に出ようと思う」
去り際に、鈴凛はそう言い残した。
１３（夢）
鈴凛の視点は、ある時は海抜数千メートルの高山へと向かった。
ある時は深遠な海溝へと向かい、ある時は灼熱の砂漠に向かい、またある時は、コンクリートで塗り固められた都市へと向かった。
その度に、あらゆる知識が彼女の中に入ってゆく。
しかし、目的の知識は見つからなかった。
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