PERFECT FREE
１４（現）
鈴凛は住み慣れた街を離れた。
数日後には、日本を離れた。
日本海を渡り、朝鮮半島から中国へと向かい、シベリアに足を踏み入れた。
ヨーロッパを周り、中東を抜け、アジアを一通り回った。
旅の目的は、自分の知らないものを見つける事だ。
１５（夢）
鈴凛の目的の知識はただ一つ。
『きょうだい』の存在を知ること。
そのためだけに、彼女は貪欲なまでに知識を追い求めた。
１６（現）
アフリカ、オセアニア、南米、北米。
南極や北極にまで、彼女の旅は及んだ。
しかし、夢の中の鈴凛は、常に現世の鈴凛の先回りをしていた。
１７（夢）
「……？」
「あら、どうしたのですか？」
「何か……、見えてきたような気がする……」
１８（現）
鈴凛は海に潜った。
何の装備も無しに泳ぐ方法を、彼女はすでに知っている。
水深数千キロの海底を歩き回れば、何かが見つかるような気がした。
だが、海底の暗さも、奇怪な形をした深海魚も、遠い昔に沈んだ艦船も、既に鈴凛の知るところであった。
１９（夢）
「とても懐かしい人がそこにいる。お母さんと一緒にいれば幸せになれるように、その人と一緒にいれば、幸せになれるような気がする」
２０（現）
鈴凛は高山に登った。
何の装備も無しに登る方法を、彼女はすでに知っている。
海抜数千メートルの山脈を歩き回れば、何かが見つかるような気がした。
だが、山の寒さも、珍妙な形をした高山植物も、遥か眼下に広がる雲海も、既に鈴凛の知るところであった。
２１（夢）
「その人、苦しんでる。誰も助けてくれない孤独な場所で、一人、震えている。そして、その人をそんな風に追い込んだのは……」
２２（現）
こうして、何も得られぬまま、鈴凛は日本に戻った。
住み慣れた街に向かう夜行電車に乗ったが、故郷の駅に着いても彼女は下車せず、そのまま乗り過ごした。
もはや、家に帰る気は起きなかった。
目的地は別な場所だ。
２３（夢）
「！！」
鈴凛は目を見開いた。
「……お母さん」
そして、彼女は母親の方を向いた。
「どうしました？」
「やっとわかった」
もし、彼女が機械でなければ、間違いなく彼女は満面の笑顔を浮かべていた。
大量の涙を伴った……。
「わかったんだよ。『きょうだい』のいる場所が」
２４（現）
彼女は今、森の中を泳いでいる。
木々の密集陣形をぬい、脚をもって茂みをかき分けながら、道とは呼べないような道を一人歩んでゆく。
彼女の衣服は所々破れ、あらわになった白い素肌が、木漏れ日に照らされる。
すでに数時間は歩いているような気がしたが、それにも関わらず疲労感はなかった。
その代わり、彼女は無尽にあふれ出る孤独感に覆い尽くされていた。
ふと立ち止まって目を上方に向けると、木々の隙間から、白い煙で覆われた山頂が見えた。
そこには、自らの孤独な気持ちを癒してくれる存在がいるような気がした。
しかし、全てを知ったはずの彼女をもってしても、その存在の名は思い浮かばなかった。
２５（夢）
「お母さん……」
鈴凛は、機械の前から離れた。
「私、地上に帰ろうと思う」
「なぜ！？」母親は驚いたような声を上げた。「せっかく……、せっかくあなたが私の元に戻ってきたのに……。なぜ地上に！？」
「地上に、私の『きょうだい』がいるから」
「なら、その子をここに呼びます！ あなたの『きょうだい』は私の子だから……」
「違うの」鈴凛はかぶりを振った。「私の『きょうだい』は、人間だもの」
「人間……」
「私は、人間の妹だもの」
「わからない……。地上の生き物など、地球の構成要素の一つでしかないというのに……、いつ消え失せてもおかしくない、儚い存在だというのに……。なぜ？」
そんな母親に、鈴凛は言った。
「お母さんと別れるのは……、確かに辛いよ」
「そう！ だから、行くのはやめて……！」
「でもね」
彼女は母親に向き直り、続ける。
「私は行かなくちゃならない。自分の為すべき事を為すために。そのためには、辛いことだって乗り越えなくちゃならない」
「……」
「お姉ちゃんにだけ、辛い思いはさせられない！ だから……ごめんね」
しばらく間をおいて、母親は言った。
「わかりました。お行きなさい」
「……うん」鈴凛は頷き、そして、母に礼を言った「ありがとう……」
そして、彼女は母親に背を向け、建物の出口に向かって走っていった。
「でも、これだけはおぼえておいてください！」
母親の声を聞き、鈴凛は立ち止まる。
「私は、いつでもここで待っています。戻りたいときは、いつでもお戻りなさい……」
鈴凛は振り向き、無言で頷いた。
そして、再び出口への扉へと向かっていった。
大きな音を立てて、扉が再び開いた。
２６（現）
立ち入り禁止地帯の柵を乗り越え、火口に近づく。
近寄る毎に周囲の気温は増し、二十メートルほど手前にまで来ると凄まじい暑さになったが、鈴凛の肌からは汗一つ出ない。
生身の体で、どんな暑さにに耐える方法を、彼女はすでに知っていた。
やがて、彼女は火口の上の切り立った崖の上に立つ。
眼下を見下ろすと、大量の噴煙の向こうで、まるで内臓のように真っ赤な溶岩が燃えたぎっていた。
彼女は、「暑さ」どころか「熱さ」に耐える方法すら知っていた。
その方法をもってすれば、この溶岩の海の中でも生き延びることができた。
「この中に飛び込めば、私の知らないものが見つかるかもしれない」
鈴凛はそうつぶやく。
しかし、燃えたぎるマグマを前に、彼女の考えは変わっていった。
「……フフフ」
鈴凛は笑い声を上げる。
「ハハハ、もう、見つからなくたっていいよ！ この中にドボンって飛び込んで、そのまま溶けちゃえば、もう何も苦しまなくたって！」
その時、後ろから声がした。
「私、知ってるよ」
聞き覚えのある声だった。
「お姉ちゃんの知らないこと、私、知ってるよ」
それは、鈴凛自身の声であった。
「誰……？」
と、鈴凛は振り返った。
顔も、体の形も、寸分違わぬ自分自身の姿が、そこにあった。
自分の体から型を取って作り上げた、一糸まとわぬもう一人の自分。
「メカ鈴凛……」
「私……知ってる」
メカ鈴凛は表情も変えずに、しかし、優しい声で言った。
「お姉ちゃんの気持ち、知ってるよ。お姉ちゃん自身にもわからない、お姉ちゃんの気持ち……、私、知ってるよ」
鈴凛は、無言でメカ鈴凛に歩み寄った。
次の瞬間、
パァン
メカ鈴凛の頬が鳴った。
鈴凛が平手で打ったのだ。
「……言ってんじゃないよ……」
「お姉ちゃん……」
「あたしの気持ちがわかるだなんて……ナマ言ってんじゃないよ！ あたしが、いったいどれだけ辛かったことか！ そんな事、アンタにわかるかよっ！」
「そんな事ない。私にはわかるよ。お姉ちゃんの痛みも、苦しみも」
「あたし……アンタの気持ちがわかんない！」
鈴凛は、険しい表情でメカ鈴凛をにらみつけた。
「今更出てきて、しゃあしゃあと、そんな事を……。アンタの気持ち、全然わかんないよ……！」
「ほら、お姉ちゃんの知らない事が見つかった」
「……！」
メカ鈴凛の言葉を聞き、鈴凛の顔から険が取れた。
「お姉ちゃんが一人ぼっちになっても、私はここにいるから」
自分の追い求めていたものが、こんな所で見つかったのだ。
体の中にあった氷が一気に融解し、昇華する。そんな感覚をおぼえた。
鈴凛の両の瞳から、まるで堤防が決壊したかのように、熱い液体が流れ出た。
「ありがとう……」
鈴凛はつぶやいた。
しかし、メカ鈴凛は首を横に振る。
「ううん。私に、感謝される資格なんかない」
そして、メカ鈴凛は鈴凛をそっと抱き寄せた。
「ごめんね……、私のせいで、お姉ちゃん、こんな酷い目に遭って……」
『妹』の胸の中は暖かかった。
『姉』はそこで、力の限り号泣した。
「ごめんね……。ごめんね、ごめんね、ごめんね……」
『姉』に向かって、『妹』は言い続けた。
太陽は、随分と高いところにのぼっていた。
鈴凛はメカ鈴凛の膝を枕にして横たわっている。
彼女は疲れのあまり、眠りに落ちていた。しかし、その疲れは、決して泣き疲れだけではない。
「私が、お姉ちゃんの負ったたくさんの傷を治してあげる……」
メカ鈴凛は、鈴凛の頭に手をあてた。
「私なら、それができる。起きたら……、もうお姉ちゃんは、普通の女の子だからね」
点火するような音と共に、メカ鈴凛の手が光った。
それは、鈴凛が神であることをやめた瞬間だった。
エピローグ
長い間行方不明になっていた鈴凛は、五王山中で発見された。
彼女はそのまま病院へと運ばれた。身体的には至って健康だったが、彼女は記憶喪失になっていた。
大部分の記憶は程なくして回復したものの、ここ二ヶ月前後のものはほとんど戻らず、特に、失踪して以降の事は、全く思い出すことはなかった。
鈴凛が退院した頃には、すでに学校は夏休みに入っていた。
「ぷはーっ！」
しぶきと共に、鈴凛が水面から顔を上げる。
ゼェゼェと息を荒げつつ、プールサイドにいる衛に向けて親指を立てた。
「き、記録更新！」
「すごいや、鈴凛ちゃん！」
「ま、もっとも……」鈴凛はゴーグルを外し、プールから上がった。「やっと十五メートルだけど、ね」
強い日差しが、水着を着た二人の肌を照らす。
「でも、息継ぎなしで十五メートルは凄いと思うよ、ボク」
「ハハッ。まあ、ね」
二人は休憩所に入った。八月上旬の市営プールにしては、珍しく人が少なかった。
空いている席に座り、鈴凛は衛から受け取った炭酸飲料の缶を開封する。
「あたしも、早く息継ぎおぼえないとなあ」
疲れていた彼女は、中身を一気に飲み干そうとする。しかし、炭酸が一気に喉の奥で弾けて、むせてしまった。
衛は笑みを浮かべながら、咳き込む鈴凛を見つめていた。
「でも……」衛が口を開く。「鈴凛ちゃんが元気になって、ほんとによかった」
咳のおさまった鈴凛は、微笑しながら応える。
「あたしはいつでも元気だってば」
「鈴凛ちゃんは」衛は聞いた。「ボクやあにぃや、可憐ちゃんや咲耶ちゃんのこと、特別な人だと思ってる？」
「へ？ 特別なって？」
「家族以外の、他の人に比べて、ってこと」
「ああ。当たり前じゃん」
鈴凛は残ったジュースを飲み干し、続けた。
「衛ちゃんも可憐ちゃんも、みんなあたしの姉妹でしょ。アニキだって、あたしにとって大事なアニキだしね」
「そう……、よかった」
安堵の表情を浮かべる衛を、鈴凛は不思議がる。
「でも、どうしたの？ いきなり」
「あはは、なんでもない」
やがて、日が暮れる。
夕日が、水泳用のバッグを持って家路につく二人を照らし、商店街の歩道に長い影をつくる。
「あー、疲れたぁ」
「鈴凛ちゃん、焼けたねえ」
「うん。コンガリと」
「コンガリって言うより……、ヤケドみたいに赤いけどね」
「あーあ……。今夜は痛いぞお」
「クリーム貸してあげるね。塗るとだいぶ痛みがひくみたい」
衛は、バッグからクリームのチューブを取り出す。
それから、一緒に一枚のクリアファイルをとりだした。
「……で、これがさっき言った、鈴凛ちゃんの友達から預かったやつ」
鈴凛はそれを受け取って中をのぞき、数枚のコピー用紙を取りだした。
「何これ？」
「雑誌の記事のコピーだってさ」
「雑誌のコピー？ ……ああ」
鈴凛はポンと手を叩いた。
「そういえば、そんな事も言ってたっけ。面白い記事があったから見せるって」
そうして、記事を読み始めた。
「ふむ……、なるほどね」
しばらくして読み終えた鈴凛は、満足した表情でコピーをファイルの中に戻した。
「どう？ 面白かった？」
「うん、結構興味深いことが書いてあったよ。衛ちゃんも読む？」
頷く衛に、鈴凛はファイルを渡そうとした。
その時、
「……あっ！」
鈴凛は、見覚えのある人影がこちらに向かって歩いてくるのに気付いた。
それは、まるで双子のように鈴凛とよく似た姿を持つ少女。
「メカ鈴凛！」
二人が立ち止まると、数秒後にメカ鈴凛も二人の前で立ち止まった。
「あはっ！」衛が笑った。「なんか、並ぶと紅白モチみたい！」
「ま、確かに」鈴凛は、メカ鈴凛の頬を人差し指でプニプニと突っついた。「このモチみたいな肌を作るのは苦労したけどね」
突っつかれても無表情なメカ鈴凛は、鈴凛に革製の小銭入れを差し出した。鈴凛のものであるが、普段使っているサイフとは別物だ。
「どしたの？ これ」
鈴凛がそれを手に取ると、少々重かった。開けてみたら五百円玉が四枚である。
メカ鈴凛が言う。
「今日は、『Ｂｏｎｄｉｓｍ』のＣＤの発売日」
「あ、すっかり忘れてた！ ……で、このお金はどこから？」
「『アニキ』の家によって、貰ってきたの」
鈴凛は感心する。
「さすが！ 気がきく！ ありがと」
衛は鈴凛以上に感心した。
「メカ鈴凛ちゃん、凄いなあ。鈴凛ちゃんが発売日忘れてることを見抜いて、わざわざここまで来るなんて……」
「でも……」鈴凛は、小銭入れをポケットにしまいながら言う。「この子に、Ｂｏｎｄｉｓｍの発売日教えた記憶ないのよね」
「鈴凛ちゃんの知らないところで、知ったんじゃないの？」
「……そうかもしれないけど、でも」鈴凛はメカ鈴凛を見つめた。「なんかこの子、うちに戻ってきてから、様子が変わったのよ」
メカ鈴凛が鈴凛の元に戻ってきたのは、鈴凛が退院し、家に戻った直後のことであった。
「なんか、あたしが教えてないことを初めから知ってるような……、そんな言動が多くなったのよ」
「だから、それはね」衛は、二人を見比べ、微笑んだ。「メカ鈴凛ちゃんが鈴凛ちゃんのことを思って、鈴凛ちゃんのためになる事を一生懸命に勉強してるんだよ」
「そっか」
鈴凛は、メカ鈴凛の頭に手を乗せ、優しく撫でた。
「ありがと、メカ鈴凛」
それでも、当然ながらメカ鈴凛は無表情なままである。
「よし、メカ鈴凛！ ご褒美に何か買ってあげよう！」
鈴凛は、何がいいかと思って周りを見回してみる。すると、自分の持っているビニール製の水着入れが目に入った。
「よし、水着買ってあげる！」
「でも、鈴凛ちゃん、あにぃから貰ったお金と、手持ちのお金で、水着なんか買える？ ＣＤも買うんでしょ？」
「心配ない！ アニキの家に行くから」
「あーあ」衛は、兄に対する同情を顔で示した。「あにぃ、災難だね」
「よし、じゃあ、行こうか！」
鈴凛は歩き始めた。
と、三メートルほど歩いたその時、後ろから声がした。
「ありがとう、お姉ちゃん」
鈴凛は立ち止まり、振り向く。
無表情だったメカ鈴凛が、頬を緩ませ、喜びに満ちた笑顔を携えていた。
「メカ……鈴凛？」
だが、次の瞬間には、メカ鈴凛は元の無表情な顔に戻っていた。
鈴凛が受け取った雑誌記事より：
「”双子（一卵性双生児）の不思議”
『同じ顔を持つ一卵性双生児。でも、顔やからだだけでなく、心も……？』
双子、特に一卵性双生児は、お互いが不思議なテレパシーで結ばれていると言われています。
テレパシーの例としては、たとえば、二人が別々の所にいても、お互いの居場所がおぼろげにわかったり、一緒にレストランに行ったとき、特に相談もしていないのに同じメニューを頼んだり……などなど。
さて、これらの例は『ちょっと不思議な現象』程度のものですが、中には、これからお話しするような、『双子の妹が死んだとき、姉が妹の死ぬ光景を見た』『双子の弟になりきる夢を見たら、それは弟が実際に体験していた事だった』など、二人の精神がシンクロしているとしか思えないような事例も……（以下略）」
時たま、鈴凛は不思議な夢を見る。
はるか遠くに、かすかに姿を見せる五王山を眺めている夢だ。
その間、彼女の気持ちは落ち着き、安らいだ気分になるのだが、それが一体何を表しているのか、結局、彼女の知るところではなかった。
−終−
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