Queen's Reclamation
７：『共生』
一週間後の日曜日。
暑さ寒さも何とやら。秋分の日を過ぎた頃から、これまでの猛暑は嘘のようにおさまり、すっかり涼しくなってきた。
天気が良いとはいえ、「この服装」では少々薄ら寒い。しかし、マフラーを巻いたらそれはそれで暑そうだ。
「もっとも」
輝之は、茶色いマフラーを手にとって見つめる。
「この上にマフラーっていうのは、なんか変な組み合わせだよね」
「そうね。これは冬のためのためのお楽しみに、ね？」
紀の手編みのマフラーだ。なにも今日のために間に合わせるつもりではなかったが、初めての編み物に夢中になって、気が付いたらできあがってしまったらしい。
「でもこれ、ずいぶん長いけど？」
「それはね、こうするためよ」
紀はマフラーを手にとって、片方を輝之の首にチョーカーごと巻き、もう片方を自分の首に、やはりチョーカーごと巻いた。
「えっ？ これって……」
輝之の声が裏返った。
彼女の顔が近づいて肩も触れて、しかも紀による手編みのあいあいマフラー。
毛糸のあたたかさが、恥ずかしさで熱くなった顔をさらに熱くした。
加えて、
「えいっ」
彼女はそう言って、ペタリと頬を頬につっくけてくる。
「や、やめてよぉ……」
熱暴走しそうだ。
「嫌？」
「い、嫌じゃないけど……」
二人は仲良くそんな事をしながら、ここである人物を待っていた。
ここは二人の出会いの場所、「高根モール」。この日の昼下がりもまた、モールの中は買い物客たちでにぎわっていた。
あれから、紀は少しずつ変わっていった。
学校も、まだ輝之が一緒にいなければ恐いようだけれど、千尋や麻衣、それから達雄や有佳などともよく話すようになった。
彼らと仲良く昼食をとることも多く、本当の友達になれる日も、そう遠くはないだろう。
とはいえ、例の個性的な弁当だけは勘弁してほしいところだが……、これはあとで、それとなく言っておけば良い。
「でも、ちょっと遅いなあ」
輝之はマフラーを外し、それを手さげに入れながら言う。
「『エンジェリックフェザー』の前だって言っておいたんだけど」
「その格好だから気づかないのかも？」
「そうかな？ 携帯で電話してみようか……」
しかし、その必要はなかった。
「お待たせ。輝之」
女性の声が聞こえてくる。
懐かしい声。
僕に、可愛らしいキャミソールや、フリフリのネグリジェや、お人形のようなドレスを着せて喜んでいた、あの人の声……。
「姉さん……」
笑顔で手を振って駆け寄ってくる、髪が長くて、背が高くて、ちいさな自分をいつもかわいがってくれた人。
柏ひかり。
数年前に嫁いでいった、輝之の姉だ。
「どうしたの？ その格好？」
「姉さん、僕によくこんな格好させてたでしょ？ だから、姉さんを喜ばせようと思って」
「よく似合ってるわ……。本当に」
姉さんの笑顔。
忘れもしない、ちいさな僕が幾度となく見てきた笑顔。
でも、きっとこれで最後。
「そちらの方は？ お友達かしら？」
「はじめまして。黒崎紀です」
「なんだ、女の子だったの。でも、本当にお似合いの組み合わせね。こうして見ると」
そう言ってひかりが笑うと、輝之も紀も少しだけ頬を赤くした。
輝之は、白いノースリーブのワンピースに、麦わら帽子。手にはフェルト製の手さげ袋。
紀はＴシャツにジーンズをはいて、髪を後ろで束ねている。今回はサングラスはない。
「あら、どうして顔を赤くしているのかしら？ ただのお友達じゃないの？」
少しの意地悪とともにそんな事を聞かれても、輝之たちは黙っている。
それを見ただけで、姉は理解したようだった。すぐに質問を変えてくる。
「紀さん？ 輝之は今でもよく泣くのかしら？」
「ね、姉さん！」
輝之は慌ててそれを制止しようとするが、
「はい……。泣いてるところ、何回か私に見せてくれました」
「かっ、紀ちゃん。やめてよ……」
「あらあら、輝之。もう子供じゃないんだから、あんまり泣いちゃ……」
「でも、いいんです」
紀は笑みを浮かべて言った。
「私が泣いてるところも輝之くんに見せたし、それに、その時……」
しかし、途中で言葉を濁す。
「う、ううん。何でもないです。とにかく、輝之くんは優しい人なんです」
「そう。そこも変わっていなくて、よかった……」
姉は輝之に向き直る。
「輝之は、昔から優しい子だったのよ。特に、私に対してはね」
「へぇ……」
「お母さんの料理を手伝った時も、私には特別のメニューを作ってくれたし、編み物も編んでくれたし、姉弟げんかの時も先に謝ってくれたし……」
弟の自慢をする姉と、それを黙って聞いている弟。二人を交互に見て、紀は言った。
「輝之くんって、お姉ちゃんっ子だったのね」
「そんな事……、ないよ」
「照れなくてもいいのよ。輝之くん」
「ほんとに、そんな事ない」
そう微笑しながら言いつつ、輝之は心の中で付け加えた。
（そうだ。今の僕は、もうお姉ちゃんっ子じゃない）
楽しい時間は、あっという間に終わった。
夕方、二人は大野崎駅で、特急列車で帰ってゆくひかりを見送った。もちろん輝之は男の服装に、紀は女の服装に戻っている。
「それ、渡さなかったのね」
改札を出たところで、紀は輝之の持っているフェルトの手さげを指さす。
手さげからは、セーターのように見える白い毛糸の編み物が顔をのぞかせていた。
「うん。姉さんには、セーターは間に合わなかったから、冬までに宅配便で送るよって言っておいた」
「そう……、完成しなかったんだ」
少し残念そうに言う紀だったが、輝之はかぶりを振った。
「いや、ちゃんと完成したよ」
「え？ でも、今『間に合わなかった』って……」
「姉さんの分は、ね」
広間の中央で彼は立ち止まり、紀に微笑みかけた。
「これは、紀ちゃんにあげる」
「まさか……、マフラーへのお返しなの？」
彼女は罪悪感に満ちた表情で立ち止まる。
「そんな、悪いわよ。なんだか、お姉さんから横取りしたみたいで……」
「ううん、ちがう」
「だって……、今日のために一生懸命編んだんでしょう？ 私が邪魔したら、輝之くん、ものすごく怒ってたでしょう？ それなのに、そのセーターを私が……」
「これはセーターじゃないよ」
そう言って、彼は満面の笑みとともに、それを手さげから取り出した。
「あ……、これって……」
「紀ちゃん、こっちの方が好きなんでしょ？ だから、紀ちゃんのために編んだんだよ」
確かに、それはセーターではなかった。
『上手じゃないの。気に入ったわ。……だけど、私はセーターよりベストの方がいいわねえ。ベストに変更しなさい。そして、私に献上しなさい』
「私の言ったこと、覚えてたの？」
「うん」
「私、ひどい女だったのに……。その私が言ったこと、聞いてくれたの？」
「言ったでしょ？ 僕は、紀ちゃんの喜ぶことなら何でもするって」
「で、でも……」
彼女の声が少し震えてくる。
「そのために、大切なお姉さんのことを後回しにするなんて……」
「紀ちゃん、僕はね」
彼は笑顔のまま、彼女を諭した。
「一番好きな人のために、一生懸命これを編んできた。たとえあげる人が変わっても、そのことに変わりはないんだよ？」
「一番好きな……？ 私が？」
天使のような少年が元気よくうなずくと、悪魔のような少女の体は打ち震えた。
頬には熱い雫が流れていた。
でも、口も目も、精一杯の笑顔を浮かべていた。
「ありがとう……。輝之くん」
白いベストが挟まれた。
暖かい空気が、その瞬間だけは「暑く」なったような気がした。
そして、主である少年と少女と一緒に、二つの首輪もまた重なったような気がした。
人々の行き交う駅の真ん中で、まるで永遠のような「瞬間」を送りながら、彼は一人の人物に感謝を送っていた。
（君のおかげだよ、朧月さん。ありがとう……）
「へーっくしょい！」
その頃、詠子は勢いよくクシャミをしていた。
「あー、風邪ひいたかな」
「誰かが噂をしているのかもね？」
「うん。そうかもねえ」
夕方になり、すっかり人のいなくなった高根公園。その中央にあるベンチに、ちびＴとカットジーンズ姿の詠子は腰掛け、コンビニで買ってきた唐揚げをつまようじで食べている。
「詠子ちゃん……。よくこの公園に来て、一日中ここで過ごしてた女の子。なんていったっけ？」
「あ？ 黒崎紀？」
「そう、黒崎さん。あの子最近来ないけど、どうなったのか知ってる？」
「あいつはもう来ないよ。新しい居場所を見つけたからね」
「新しい居場所？」
「そー」
唐揚げを食べ終えた詠子は、紙のパッケージにつまようじを入れて握りつぶす。
「そうなんだ……。ちょっと寂しい」
「まあ、しょうがないさ。ここで『色々なこと』があったとはいえ、いずれ失われる場所にしがみつくのは良くない」
「『色々なこと』って、何？」
「聞きたい？ 長くなるけど？」
「聞きたい」
「わかった、話そう。……と、その前に、だ」
詠子は財布を取り出して、コンビニで受け取ったお釣りを調べる。
その中からお目当ての五円玉を選り抜き、そのレアリティを見定めた。
「コモンか。つまんねえ」
終